まつむし音楽堂通信

 2018年 夏号

 

●「七夕(たなばた)」には織り姫、彦星の、年に一度の逢瀬にあやかって技芸(とくに裁縫)の上達を祈願するのが習わしです。近年まで阿倍野には裁縫学校が多くありました。女学生も少なくなかったでしょう。「七夕まつり」も、きっと盛大におこなわれたにちがいありません。陰陽頭(おんみょうがしら)で天文博士、安倍晴明(あべのせいめい)公を祀る安倍晴明神社(大阪阿倍野区)では毎年、7月7日に「七夕まつり」が執り行われています。星を見て政局を占う陰陽師にとっては、「七夕」はたいせつなお祭りだったのですね。

●生駒山の麓(ふもと)、「天(あま)の川」を地上に映したような交野ケ原の「織物神社」では星を祀る七夕祭のほか大晦日には太陽を祀る冬至祭も行われているとか。交野市の星田には三か所に星が降ったという言い伝えがあり、北極星を祀る「妙見(みょうけん)宮」付近には「牽牛(けんぎゅう)石」など巨石が遺っています。巨石をご神体とする磐船(いわふね)神社は、天祖「ニギハヤヒの尊」が降臨した場所とされています。

●大陸とのつながりもあったのでしょうね。紀元前3世紀のころ、中国で発生した陰陽道(おんみょうどう)が仏教伝来と相俟って日本に伝えられました。天文を観測して万物を占う陰陽道(天文道・暦道)には陰陽五行説にもとづく「風水(ふうすい)」思想も含まれていました。「長岡京」の南に位置する「交野が原」は風水でいう「明堂(めいどう)」、つまり「賑わいの場所」とされていたのですね。旧暦7月7日の「乞巧奠(きっこうでん)」には今も、香道や華道、和歌、貝合せ、蹴鞠(けまり)など、風雅な遊びに興じる人たちがいるようです。

●天下茶屋(てんがちゃや)という地名が示すとおり、まつむし音楽堂付近には「お茶屋」が多かったのでしょう。千利休が師事したといわれる「紹鴎(じょうおう)」の森には今も湧水が出ているようですが、おいしいお茶と料理、遊びには欠かせませんね。大阪のミナミ、音楽のチカラで、かつての賑わいを取り戻せないものでしょうか―。

(和田高幸)

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